モーゼパーク

モーゼパーク

「明日はどちらに行かれるのですか〜?」山中温泉での夕食時、料理を運んできた仲居さんの何気ない一言。「あ、明日は押水町に行きます。」と答えると、仲居さんは表情を曇らせて返答に困り、一瞬にして気まずい沈黙が生まれた。

押水町は、モーゼが眠る町として「モーゼの墓」を観光アピールしていた。2005年3月に志雄町と合併し、現在は宝達志水町となっているが、合併した現在でもそれは変わりない。というか「モーゼの墓」しかない。能登や金沢に訪れる観光客に素通りされるのに耐えかねて、無理矢理観光スポットを作ったかのようにも思えるが、きっと気のせいだ。

モーゼパークところで、モーゼって誰よ?という方もいると思うので、まずは大雑把に説明。

モーゼとは、ユダヤ教およびキリスト教の正典である旧約聖書に出てくる人物。
神からの啓示を受け、エジプトで奴隷となっているイスラエル人を、数々の妨害を打破してエジプトから連れ出した。そして最後にシナイ山で神から十戒を受けた。こういった彼のエピソードが旧約聖書に書かれている。

手っ取り早く知るには、チャールトン・ヘストン主演の映画「十戒」がオススメ。自分は中学生の時に学校で見たが、宗教云々関係なくフツーに楽しめる映画だった。

さて、そんなモーゼ。墓の場所は伝わっていないとされている。なので、日本に墓があってもおかしくはない。

モーゼはもとより、キリストや楊貴妃の墓までも日本には存在する。それが本物と信じるかどうかは別として、伝説と共に存在しているだけでも凄いと思う。ましてや観光スポットにしてしまうのだから。日本という国はホントいろんな意味で凄い。

やけに長い前振りになってしまったが、モーゼの墓がある場所はモーゼパークと呼ばれている。正確には「伝説の森 モーゼパーク」。

レンタカーのカーナビにはランドマークとしての登録はなかったが、住所を頼りに進み「伝説の森 モーゼパーク」の看板を見つけたときはちょっとホッとした。が、天候不良な年末、好き好んで訪れるヒマな人はいないようで、クルマはもちろんのこと、誰もいなかった。山中温泉で「クマ出没注意」の看板を見ているだけに、願わくばクマが出ませんように。これに限る。

小雨が降っていたのだが、傘を持ってきていなかった。
パークの地図(写真左)を見る限り、駐車場(青丸の囲み)からモーゼの墓(赤丸の囲み)まで、そんなに遠くないように見えたので、多少の雨は我慢して進んだが、これが大きな誤りだった。

左の地図の写真にオンマウスしてみてほしい(GIFアニメが動きます)。自分は駐車場から延びる白い線を道だと思い、そんなに遠くないと思っていた。だが、よく見ると地図の右下の部分は拡大図で、白い線は区切り線なのだ。自分が思っていた道のり(赤い線)と、本来の道のり(青い線)は全く違っていたのだ。ああ、勝手に勘違い。

モーゼパークま、そんな勘違いに気づくのは、最終的に駐車場に戻ってきてからのこと。山道を歩いている時点では、3分に1回ぐらいの割合で30秒近く雪あられ(白色で不透明な氷の粒)に襲われ、モーゼの墓はまだか。と濡れそぼった体でヨロヨロと緩い登り坂を歩いていた。

道の脇に「山に入るな 地主」と書かれた立て看板があり、ロープが張られた箇所があった。モーゼの墓があるというだけで、十分ミステリースポットなのだが、ここは自分有地なのか?と、余計な謎もついてくる。

そんな不思議な場所を抜けると「モーゼの墓記帳所」と書かれた小屋(?)を発見。

モーゼパーク

無人野菜販売所じゃないよ

モーゼパーク

不思議なモーゼ伝説

モーゼパーク

三ッ子塚と呼ばれるモーゼの墓

電話ボックスより少し大きいぐらいの記帳所には、苔のはえかかった台があり、うっすら雨ざらしになった「平成元年以降 三子塚 御芳名帳」と書かれたノートが置かれていた。長きにわたり素晴らしい保存状況である。また、モーゼの墓、伝説に関する説明書きがあったので、これをざっくり紹介する。

押水町のモーゼ伝説 能登・押水町には古くからモーゼ伝説があり、不思議なことに「十戒」をこの地で授かっている。
ユダヤの民を指導した後、また日本に戻ってここに眠っているとされる。
現代の自分達にとってミステリアスであり、夢とロマンを呼び起こさせてくれる。
モーゼの墓 古史古伝「竹内文献」の中にモーゼが能登・押水町にやってきたと記されている。
「十戒」の刻まれたメノウの石を、当時の天皇に献上し、感激した天皇の第一皇女「大室姫」を嫁がせた。
2人は日本を離れて大業を遂げ、また戻ってきて押水町に永眠した。
墓は三ッ子塚と呼ばれ、中央がモーゼ、右に大室姫、左に孫が葬られているとされる。(モーゼクラブ)

同じ押水町のモーゼに関する記載とは思えないぐらい、内容に食い違いが見られる。「なんでモーゼが日本に?」という大きな疑問は「不思議なこと」で一蹴されてしまい、ツッコミどころが満載な説明には、問いかける相手もいない。いきなり孫が出てきて一緒に葬られているのもよくわからない。説明版にある「モーゼクラブ」(電話とFAX番号が書いてる)の存在も、わからない不思議要素のひとつだ。モーゼのファンクラブか?!
まあ、全部ひっくるめてこのわからなさ加減が「現代の自分達にとってミステリアス」ということなのだろう。

モーゼパーク説明書きのおかげでミステリー度は最高潮に達し、記帳所から歩くこと数分。ちょっとした広場に出た。ここには、先ほどとは打って変わって立派な石版状の「モーゼの伝説」があった。

書かれている内容は、モーゼという人物について旧約聖書の内容を要約したモノと、モーゼが十戒を授かった後に能登に来たということ。一説には583歳まで生きて、この地に眠ったとも書いてあり、まさか!という内容である。

モーゼパークが、「この奇想天外なミステリーこそ、モーゼ伝説から生まれたもう一つのモーゼ伝説なのかもしれない。」と結ばれていて、ははん、うまいことまとめたね。という感じだ。

そして肝心の墓はどこだ?あれだけ墓だ伝説だと説明書きはあったのに、案内板も見あたらない。まだ続いている道を進むと「健康のみち(モーゼ森林浴コース)」という看板が出てきた。どう考えても違うよなと、引き返す。記帳所にあった墓の記述を思い出し「この小高い山が、もしかしたらそうなのか?」と、道なき道を上っていくと・・・あったよ、モーゼの墓。

卒塔婆のような角材が一本、木々に交じって立っていた。角材の表面に何か文字が書いてあるのだが、かすれていて読めない。たぶんこれがモーゼの墓だ。しかし、本当にこれがそうなのか、未だに確信は持てない。

根本には「ありがとうございます」と書かれた白いプレートがささっているし、近くにシーサーの置物もあるし、わからないことだらけ。ホント、ミステリアスだよ!

十戒な天候冷たい雨の降りしきる中、一路空港へ。横に見える日本海は、ガンガンに荒れ狂っていた。向かう先の空模様は、映画の十戒なみ。海が割れていてもおかしくなさそうだ。
北陸はこの日の夜から強力な低気圧が発達して、一晩で大雪となった。恐るべし冬の北陸。

天候も含めて最高潮にミステリースポットだったモーゼの墓だが、実は後日談がある。

正月、モーゼの墓に行ったと話すと「キリストの墓は青森にあるんだってよ」と父が言いだした。それは知っていたので驚かなかったが「友達の××さんが、キリストの墓がある戸来(注、へらいと読む。これがヘブライという説だ)の人で、キリストの末裔なんだって。」と言い出したのにはたまげた。

しかもキリストの墓、出所はモーゼと一緒で古史古伝「竹内文献」なのだ。このつながり・・・モーゼの墓もキリストの墓も一気に胡散臭さがアップするが、末裔だと言う人がいるぐらい地元では根付いている伝説なのだろう。やっぱり日本て凄いな。

そして、普段はこの手の話に乗ってこない兄が「今年(2007年)は弘法大師の没後1200年で、弘法大師は生き返るらしいよ」と言った。無口な兄まで巻き込むモーゼ(古史古伝「竹内文献」)パワー。日本のミステリアスは底知れない。
ただ、「生き返らなかったらどうすんだよ?」と父が聞くと「どうもしないでしょ」と、アッサリかわしていた。

そんなモーゼの墓。モーゼを知らなくても支障はないと思われるが、一緒に行く人を選ぶ上級者向け観光スポット。
たとえ気心知れていても「健康のみち(モーゼ森林浴コース)」でもあるので、ピンヒールやミュールを履いたお嬢さんとデートで行かないように。確実に嫌われます。